本誓寺 真宗大谷派
浄土真宗の教えをひろめる親鸞聖人の弟子は百人も数えるが、その中の主な弟子たちのことを書いたものに『親鸞門侶交名牒』とよばれるものがある。その十番目に奥州和賀郡一柏の是信房の名がある。
親鸞聖人が常陸稲田におられた時、奥州の人たちが弥陀の本願の教えに救われるようにとの念を深くして、当時開基の是信房に命じ、その任にあたらせた。その時、お別れを惜しむと親鸞聖人は「後の世の記念に残す面影は弥陀たのむ身のたよりともなれ』とうたわれ、御自身肖像を彫りまた、阿弥陀如来の尊像の両側に南無阿弥陀仏と書かれた=名体不離の本尊=を是信房に与えられた。時は建保三年(1215)であった。その後是信房は一寺を紫波郡彦部村松田に創建、石森山重願院本誓寺と称しておよそ五十二年、大いにこの道をひろめられ、そのため、聖人より光明本一幅を与えられるが、文永三年(1266)十月十四日、八十六歳で亡くなる。
寛永十二年(1635)十六世の賢勝が南岩手郡米内村に本誓寺を移し、かわりに正養寺を彦部に建て、弟の慶正に寺祖の墳墓を護らせる。嘉永三年(1850)、二十五世の是伝が寺祖の墳墓を村内三ッ割に移して現在に至る。親鸞聖人の教えをはじめて奥州へ伝えてから七百年余りになるが、近世末期までは五十六の末寺を数え当本誓寺には、初期教団としての宝物も数多く蔵されている。
なお本誓寺宝物には『御真影』『光明本尊』『名体不離本尊』それに『光明攝取本尊』が伝わっている。
(本堂前掲示板より)
明治30年に焼失した本堂は、御門徒の皆様からの寄付により大正14年に再建されました。
本誓寺のホンセイジシダレ
開花の季節には小さく白い花を咲かせる本誓寺のホンセイジシダレは、盛岡市指定天然記念物に指定されています。
ソメイヨシノに比べて花の各部が小さく、花より葉が早く開く葉季性と、枝が垂れ下がるシダレ性の特徴を持つことから、ソメイヨシノとシダレヒガンの雑種と考えられています。